展覧会/イベント

新型コロナウイルス感染症の影響を鑑み、本展覧会を予定しておりましたが、開催を見送ることに致しました。会場での展示は叶いませんでしたが、当ホームページにて写真やスライドショーを交えながらご紹介いたします。


価値ある近代住宅建築が姿を消していく中、幸運を引き寄せることになった旧渡辺甚吉邸(1934/昭和9、東京・白金)。多くの尽力あって2019年保存を目的に解体された同邸は異例の民間企業により移築復元されることになりました。これほど人々の心と行動を突き動かした住宅とは?
中規模ながら瀟洒(しょうしゃ)な洋館を手掛けたのは、あめりか屋の技師であり当時日本随一の住宅作家であった山本拙郎と施主の同郷の友、遠藤健三、そして実作が数少なく幻のデザイナーといわれた今和次郎です。彼らを中心に日本式チューダーの完成形が誕生。シンプルな外観からは想像がつかないほど濃密に装飾が施された室内には、英国のアーツ・アンド・クラフツに通じる職人たちの手の跡が濃厚に残ります。チューダーをベースにしながらも、山小屋風の食堂、ロココの寝室、和室もありと、部屋の目的によって様式や趣を変化させたコラージュ的な空間構成も特徴です。それでいて全体に調和のとれた印象を持たせているところは、施主の意向を大切にしたこの3人ならではの手腕でしょう。所有者を変えながら、甚吉邸がこれまでほぼ当初の姿を残していたことがなによりもの奇跡かもしれません。
ここでは、竣工時の詳細を捉える優雅な古写真や解体直前の写真とともに旧渡辺甚吉邸をめぐり、その奇跡の所以となる魅力に迫ります。


最初に、甚吉邸に関わる大きな奇跡のひとつ、 ――消滅の危機を逃れ、未来に向けた移築決定に至るまで――についてご紹介します。


消滅の危機、そして移築へ向けて


「白金台で長い間親しまれてきた建物が、2017年5月に解体されてしまうらしい。その前に学術的記録だけでも取れないか」と、前年、のちに結成される旧渡辺甚吉邸サポーターズ(代表:内田青蔵)のメンバーに相談があったのが始まりです。当時まだ結婚式場として使われていた旧渡辺甚吉邸。今和次郎の細部装飾にも大きな価値を持つこの邸宅は別格との印象をメンバーは受けたそうです。これに共感した研究者、有識者たちがまず解体後の保存に向けて始動。当時甚吉邸を所有していた住友不動産へ相談の結果、解体時期の延期と建物の引き受け先が決まった際の全面的な協力の約束を取り付けることができました。調査と並行しながら文化的価値や活用事例などを各所に訴え続けたところ、メンバーらの努力は奇跡を招きました。民間企業である前田建設工業が解体と部材保管を引き受けたのです。同サポーターズはその際、組織名を「旧渡辺甚吉邸解体保管検討委員会」と改名し、同社に緊急要望書を提出。2018年11月の見学会後、めでたく甚吉邸を未来へ繋げるための解体が始まりました。旧渡辺甚吉邸解体保管検討委員会は解体完了をもって、再び「旧渡辺甚吉邸サポーターズ」と名乗り、甚吉邸の研究を継続します。


現在、甚吉邸の部材は前田建設工業管轄下で保管され、後に茨城県取手市にある同社のICI総合センターに移築されることが決定しています。ICIは、個人・法人・公的機関がともに、様々な社会課題を解決する、新たなビジネスモデルの社会実装を目指すための場。その主旨に基づき、甚吉邸に百年先へ繋ぐビジョンを掲げました。建築的視点からの分析・解明により甚吉邸に普遍的な価値を見出し、同社独自の新しい技術を取り入れ、移築後も長く安全に活用できる建物にし、かつ地域活性の拠点も目指します。そのために、ICI内にある社団法人ベンチャーシップスポートが「甚吉邸に代表される歴史的建造物の保存、再生活用、展示運用に関わる研究」の研究助成制度を創設。旧渡辺甚吉邸サポーターズの研究活動も助成対象となりました。
甚吉邸の移築プロジェクトは、民間の力と発想で歴史的建造物を活用する成功例として、今後も多くの民間企業に事業展開の新たな選択肢を示すものとなるでしょう。

  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩
  • 2017-2018年撮影:傍島利浩

「奇跡の住宅」 旧渡辺甚吉邸 ~解体の記録

企画 LIXILギャラリー企画委員会
協力 前田建設工業株式会社、旧渡辺甚吉邸サポーターズ、工学院大学図書館、早稲田大学建築学教室本庄アーカイブズ

旧渡辺甚吉邸について

岐阜の名家・渡辺家の14代当主・甚吉の私邸として1934年(昭和9)に建てられました。全体計画を手掛けたのは、戦前に洋風住宅の啓蒙活動を通じ、その普及に取り組んだ住宅専門会社・あめりか屋の技師長・山本拙郎(1890-1944)。実施設計は、あめりか屋で研鑽を積んだ後、エンド建築工務所を立ち上げた遠藤健三(1898-1992)。細部装飾は、考現学の提唱者として知られる早稲田大学教授・今和次郎(1888-1973)です。
甚吉邸にチューダー様式が取り入れられたのは、1930-1931年(昭和5-6)に甚吉が遠藤を伴い、ヨーロッパを遊学した体験から、新居を建てる際の二人の意見は「チューダー様式」で一致していたからです。この施主の要望は、山本、遠藤、今の3名が集結したことにより、基本計画から細部計画に至るまで当時の日本における住宅建築の最高水準の経験・知見が投入された住宅として叶えられました。


写真:正門前より。竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収。所蔵:工学院大学図書館



所在地 東京市芝区白金三光町273番地(現・東京都港区白金台4-19-10)
起工 1933年(昭和8)6月13日
竣工 1934年(昭和9)12月12日
設計 エンド建築工務所設計部(遠藤健三)
[全体設計]山本拙郎 [細部装飾]今和次郎
施工 エンド建築工務所設計部・工事部
構造 木造地上3階、塔屋、RC 造地下1階
規模 延床面積603.9㎡、敷地面積1133.2㎡
規模内訳 地下48.8㎡、1階300.8㎡、2階186.8㎡、3階21.5㎡、塔屋12.9㎡、ガレージ33.1㎡
*以上、すべて竣工当時のデータ
  • 遠藤の手による甚吉邸の平面図
  • 遠藤の手による甚吉邸の平面図
  • 遠藤の手による甚吉邸の平面図
    『渡辺邸』所収。複写撮影:佐治康生、所蔵:工学院大学図書館
  • 遠藤の手による甚吉邸の平面図
    『渡辺邸』所収。複写撮影:佐治康生、所蔵:工学院大学図書館

『渡辺甚吉邸』の魅力とその価値について

内田青蔵 (神奈川大学工学部建築学科 教授)

チューダー様式の最先端
渡辺甚吉邸は、1934(昭和9)年に竣工したチューダー様式を基調とする洋館だ。外観は極めてシンプルで、露出した柱も単純な構成だ。一方、内部の1・2階の広間に露出した柱や梁は、質感とともに繊細さも兼ね備えた中世的な職人技を感じさせる彫刻が施されるなど、内・外部の表現の違いが感じられる。
このチューダー様式は、明治期以降の西洋館建設の動きの中で、陸奥宗光邸(1892年)や渡辺千秋邸(1905)年に見られるように、柱や梁を露出させた木造洋館として採用された。初期の作品の多くは意匠性を強調するあまり、露出された部材表現は伝統的な真壁造よりも過激で強烈なものだった。しかし、大正期の近代化の動きや昭和初期のモダニズムの動きの中で、表現は徐々に抑えられ、伝統的なシンプルなものが再び姿を見せることになる。住宅表現の重要性が、外観から内部の表現へ、また、内部の機能性・合理性へと向かい始めていたからである。  
こうした動きから見ると、シンプルな外観表現と内部の濃密で用途に応じた諸室の多様なデザインを特徴とする甚吉邸は、明治以降、近代化の中で変容を遂げてきた歴史主義建築としてのチューダー様式の最先端の動きを示すものでもあったのである。


三位一体の住宅作品
シンプルさを特徴とする外観がもっとも美しく見える地点は、今和次郎の描いた外観スケッチが教えてくれる(図)。屋敷正門前、向かってやや左側。付属物としての露出した柱を見せる駐車場、開かれた門扉、門柱と脇のチューダーアーチ状の潜り戸が描かれ、本邸はその奥にひっそりと描かれている。本邸が小さく扱われ過ぎているようにも思えるが、これこそこの邸宅に係った3人の建築家の思いが表現されるように思われる。本邸を設計したのではなく、本邸を中心に屋敷構えに必要な付属物をも重視し、全体が音楽を奏でるかのようなデザインをめざしたことを示す特徴的スケッチなのだ。
その全体設計と平面計画は山本拙郎、インテリアは今和次郎、そして施工は遠藤健三が担当した。今は、山本と遠藤の早稲田大学の恩師であり、山本は今の思想的影響を強く受け、卒業後も一緒に活動をしていた。一方、山本と遠藤はともに一時期わが国最初の住宅専門会社「あめりか屋」に籍を置き、設計・施工を行った仲だった。そんな3名が時を経て再び、一つの作品に向かったのである。遠藤は、「渡邊邸新築に就て」の中で、「献身的努力とその円満なる『チームウオーク』」で完成を見たと記している。まさに「チームワーク」による三位一体の作品だったのである。
いずれにせよ、こうした極めて個性的な建築家たちの下で誕生した昭和戦前期の最後のチューダー様式の邸宅が本邸だけでも移築保存されることは、わが国の近代建築史研究にとっても極めて意義ある生きた遺構を得たことを意味する。今後、文化財的価値の高い歴史的建造物として有効活用されることを期待したい。


図版:今和次郎による甚吉邸の外観スケッチ。
竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収。複写撮影:佐治康生 所蔵:工学院大学図書館

  • Samuel Chamberlain『TUDOR HOMES OF ENGLAND』(Architectual BookPublishing,New York, 1929)。遠藤が甚吉邸を建てる際に参考にした実物。
  • Samuel Chamberlain『TUDOR HOMES OF ENGLAND』(Architectual BookPublishing,New York, 1929)。遠藤が甚吉邸を建てる際に参考にした実物。
  • Samuel Chamberlain『TUDOR HOMES OF ENGLAND』(Architectual BookPublishing,New York, 1929)。遠藤が甚吉邸を建てる際に参考にした実物。
  • Samuel Chamberlain『TUDOR HOMES OF ENGLAND』(Architectual BookPublishing,New York, 1929)。遠藤が甚吉邸を建てる際に参考にした実物。
  • Samuel Chamberlain『TUDOR HOMES OF ENGLAND』(Architectual BookPublishing,New York, 1929)。遠藤が甚吉邸を建てる際に参考にした実物。
    撮影:佐治康生、所蔵:内田青蔵
  • Samuel Chamberlain『TUDOR HOMES OF ENGLAND』(Architectual BookPublishing,New York, 1929)。遠藤が甚吉邸を建てる際に参考にした実物。
    複写撮影:佐治康生、所蔵:内田青蔵
  • Samuel Chamberlain『TUDOR HOMES OF ENGLAND』(Architectual BookPublishing,New York, 1929)。遠藤が甚吉邸を建てる際に参考にした実物。
    複写撮影:佐治康生、所蔵:内田青蔵
  • Samuel Chamberlain『TUDOR HOMES OF ENGLAND』(Architectual BookPublishing,New York, 1929)。遠藤が甚吉邸を建てる際に参考にした実物。
    複写撮影:佐治康生、所蔵:内田青蔵

目を瞠る意匠 応接室

天井や壁、扉や特注で作られた家具に照明器具まで、どこまでも意匠が凝らされた、空間全体の濃密さに圧倒されます。
室内でまず目を引くのは、暖炉の上の、色鮮やかな組絵タイルの壁画。描かれているのは鵜(う)で、甚吉の出身地である岐阜にちなんでいます。また応接室の入口扉から入って右手には、この部屋の象徴的な存在となっている親柱も見えます。
室内全体を覆う木彫彫刻は、三越家具部により製作されました。昭和初期、各百貨店の家具装飾部は家具単体のみならず、トータルコーディネートとしての室内装飾に主眼を置いていました。その中でも、1907年(明治40)に設立された三越家具部は当時、本格的に自社工場を設け、デザイナーを抱えていたことから、他店と比べても飛び抜けて高いレベルの技術力・デザイン力があったとされています。やがて戦時統制により家具の単純化や代理用品化が余儀なくされますが、渡辺邸の室内装飾は三越家具の技術がまさに完成された時期の、貴重な作品群です。


写真:応接室。竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収。所蔵:工学院大学図書館

  • 応接室 扉側をみる。
  • 親柱の上部。てっぺんには、花のつぼみのようなフィニアル(頂部装飾)。
  • 応接室 扉側をみる。
    竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収、所蔵:工学院大学図書館
  • 親柱の上部。てっぺんには、花のつぼみのようなフィニアル(頂部装飾)。
    撮影:傍島利浩、所蔵:前田建設工業

コラージュ的空間との出会い 食堂・寝室・和室

チューダー様式の応接室のほか、部屋ごとにロココ様式、山小屋風、和式など多様な様式が詰め込まれ、扉をくぐるたび気分が変わるようなたのしさがあるのも甚吉邸の魅力です。
例えば、2階の主寝室はロココ様式で統一。新婚夫婦のためのロマンティックな空間が広がっています。漆喰天井が見事な食堂には、壁の縦羽目板に、生節(いきぶし)(木と一体化しているため強度が充分で、滅多に抜け落ちない節のこと)のあるヒノキ材が使われています。まだら模様のように見える壁の仕上がりは、山小屋のような風情を感じさせます。
甚吉邸の全体計画を担当した山本拙郎は、日本独自の洋風住宅の発展に寄与した「日本最初の住宅作家」だと評されます。山本が設計を手掛けた建築群には、作風らしい作風がないとされますが、それは、山本が施主それぞれの「こうしたい」を叶えてきたからでしょう。甚吉邸が各種の様式が同居した、いわばコラージュ的な空間であるのも、施主である甚吉の意向だったと言われます。ややもするとちぐはぐになりそうなところ、魅力的かつ暮らしやすい空間にまとめたのは、山本の手腕だと言えるでしょう。


写真:2階のロココ様式で統一された主寝室。竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収。所蔵:工学院大学図書館

  • 漆喰天井が見事な食堂(1階)。 今和次郎がデザインしたダイニングテーブル&チェアが設えられていた。
  • 2階客間。数寄屋造りの座敷が広がる。
  • 漆喰天井が見事な食堂(1階)。 今和次郎がデザインしたダイニングテーブル&チェアが設えられていた。
    竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収、所蔵:工学院大学図書館
  • 2階客間。数寄屋造りの座敷が広がる。
    竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収、所蔵:工学院大学図書館

当時最新型の台所

現在でも主流のステンレス流し台が導入されていますが、ステンレスが日本の一般家庭の台所に普及したのは、1950年代後半以降。甚吉邸の竣工が1934年(昭和9)だったことを考えれば、導入がいかに早かったかがよくわかります。他にも現代的な設備として、換気扇やガスコンロの導入、イギリスから輸入したリンタイルの使用にも注目です。特に換気扇は戦前においては一般住宅に備え付けられることは珍しいことでした。また矩形平面において、ガスコンロ、流し台、調理台、収納棚といった設備をすべて壁沿いに配置していく平面計画は、1926年( 大正15)のドイツで考案された、今日でいうシステムキッチンの先駆けとされる「フランクフルトキッチン」と同じような合理性を目指す考え方にもとづいてデザインされています。調理台の前には換気・採光に適した大きな窓があり、気持ちのいい空間だったと思われます。残念ながら、解体時には台所と配膳室は大改修されており、竣工時の面影はありませんでした。


写真:1階の台所。竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収。所蔵:工学院大学図書館

  • 台所と食堂の間にあった配膳室。
  • 台所と食堂の間にあった配膳室。
    竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収、所蔵:工学院大学図書館

空間の動線とリズム作りの妙

甚吉邸は吹き抜けのホールを中心とし、全室へアクセスできるコンパクトな設計となっています。今では当たり前のように思えますが、当時としては比較的新しい思想でした。
日本在来の住宅では、襖や障子などの間仕切りはあるものの壁が少なかったこと、廊下が縁側しか存在しないために、部屋の通り抜けを余儀なくされていたことから、プライバシーへの関心が極めて低かったのです。それはもともと「接客本位」の住宅で座敷ばかりが重視されていたからですが、1910年代半ばより本格化した住宅改良運動により、「家族本位」への考えが浸透していきます。
この流れの中で完成した甚吉邸の間取りには、プライバシーや動作経済(最も効率よく作業できる動線に基づき、適した間取りを決める考え方)への配慮が窺えます。
一方で、空間をおもしろく見せるための工夫も多く、2階ホールなどで、床にあえて段差を付けていることもその一つで絶妙な奥行きが生まれています。またところどころに設けられたアーチも、空間に独特なリズムを与えています。


写真:1階と2階を繋ぐ吹き抜け竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収。所蔵:工学院大学図書館

  • 2階ホール。床の段差が空間に面白みを生む。
  • 公私の空間を隔てる表階段のアーチ。
  • 電話室。当初は壁掛けの電話が設置されていた。この入り口にも、アーチと段差が施されている。
  • 2階ホール。床の段差が空間に面白みを生む。
    竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収、所蔵:工学院大学図書館
  • 公私の空間を隔てる表階段のアーチ。
    2017年 撮影:傍島利浩
  • 電話室。当初は壁掛けの電話が設置されていた。この入り口にも、アーチと段差が施されている。
    2017年 撮影:傍島利浩

日光を取り入れた憩いの場

甚吉邸はその邸宅を敷地の北側に、庭を南側に寄せて作られました。南側に庭という建物がない空間が設けることで、室内への日当たりをよくするためです。
1階の最南端にある部屋の一つがサンルーム。庭に面した南向きの大きな窓があり、晴れた日は暖かくて気持ちよかったといいます 。また隣接する居間を日中、明るく暖かく保つ効果もありました。サンルームの床は石張りです。古写真にはラタン材のソファとテーブル、寝椅子も見られ、居間のイングルヌックと並ぶ、家族のくつろぎの空間だったと思われます。甚吉邸ではサンルームだけでなく、日光浴できる憩いの場が各所にありました。屋上の展望室、2階主寝室のバルコニー、そして庭。植栽が豊かな庭にはパーゴラ(ツタやバラなどのつるを絡ませるために、格子に組んだ棚)を置き、それを睡蓮の池で囲んでいます。



写真:1階の最南端にあるサンルーム。床の段差が空間に面白みを生む。竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収。所蔵:工学院大学図書館

  • 屋上展望室。
  • 邸宅側から見た庭の様子。
  • 屋上展望室。
    竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収、所蔵:工学院大学図書館
  • 邸宅側から見た庭の様子。
    竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)所収、所蔵:工学院大学図書館

今和次郎 まぼろしのデザイン

「美の世界のことは、人間主体の感情の世界のこと、これをよりどころとして研究されるべきなのだ」と、今和次郎は『造形感情』(1952年、早稲田大学出版部)に書いています。美の基準は一つではなく、一人ひとりの生活の諸相に基づいて変化するべき。これは、今(こん)の思想を貫くものでした。ここ甚吉邸で今は、遠藤と甚吉が思い入れを持って選んだチューダー様式にて、照明類一式から小物までをデザイン。本場ヨーロッパのチューダー様式に不可欠な民家風の素朴さを巧みに取り入れ、それが民藝など日本的な美にもどこか通じているという、〝日本式チューダーの完成形〞ともいうべき意匠を作り上げました。実作の少ない幻のデザイナーとして知られた今の貴重な作品群に出会うことができます。


写真:応接室のペンダント照明。見る角度によって違った魅力を放つ。φ870×H660mm/鉄
撮影:傍島利浩、所蔵:前田建設工業株式会社

  • 玄関のペンダント照明。全面の模様が一つひとつ異なる φ340×H240(鎖を除く)720×W340×D340mm/鉄
  • 今和次郎によるスケッチ。
  • 2階ホールのペンダント照明。 とげのたくさん付いた6つの傘が何ともユーモラス。 φ770×H740mm/鉄
  • 今和次郎によるスケッチ。
  • 1階ホールのラジエーターグリル。出来合いの洋風金物にはないデザイン性と質を兼ね備える。W1263×H725×D25mm/鉄
  • 今和次郎によるスケッチ。
  • 応接室のコンセントプレート。多くの部屋で共通のデザインで、ブドウのモチーフがあしらわれている。W60×H110×D7mm
  • 今和次郎によるスケッチ。
  • 玄関のペンダント照明。全面の模様が一つひとつ異なる φ340×H240(鎖を除く)720×W340×D340mm/鉄
    撮影:傍島利浩、所蔵:前田建設工業株式会社
  • 今和次郎によるスケッチ。
    複写撮影:佐治康生、所蔵:早稲田大学建築学教室本庄アーカイブズ
  • 2階ホールのペンダント照明。 とげのたくさん付いた6つの傘が何ともユーモラス。 φ770×H740mm/鉄
    所蔵:前田建設工業株式会社
  • 今和次郎によるスケッチ。
    複写撮影:佐治康生、所蔵:早稲田大学建築学教室本庄アーカイブズ
  • 1階ホールのラジエーターグリル。出来合いの洋風金物にはないデザイン性と質を兼ね備える。W1263×H725×D25mm/鉄
    所蔵:前田建設工業株式会社
  • 今和次郎によるスケッチ。
    複写撮影:佐治康生、所蔵:早稲田大学建築学教室本庄アーカイブズ
  • 応接室のコンセントプレート。多くの部屋で共通のデザインで、ブドウのモチーフがあしらわれている。W60×H110×D7mm
    所蔵:前田建設工業株式会社
  • 今和次郎によるスケッチ。
    複写撮影:佐治康生、所蔵:早稲田大学建築学教室本庄アーカイブズ

衛生的かつ美しい泰山タイル

甚吉邸では、1917年(大正6)に京都で創立した泰山製陶所(たいざんせいとうじょ)によって焼成されたタイルが、化粧室や浴室といった水回り、応接室の暖炉などに多く使われています。
1階の化粧室の壁から床にかけ張り巡らされた布目タイルは、釉薬(ゆうやく)の具合によって1枚ごとに表情が違うため、その全景は複雑な色彩を織り成し、実に壮観です。他にも、玄関の床や食堂の暖炉や床に、それぞれ赤褐色、ブルーグレー、黄褐色のタイルが使われています。
応接室の暖炉は、両袖も炉内も辰砂手(しんしゃしゅ)タイル張り。辰砂手とは、鮮やかな紅紫色(こうししょく)を表す陶磁器の技法の一つで、浮彫りされた花びら部分には銅の酸化による緑色が浮かび、濃淡のある色合いが味わい深い表情をみせています。
甚吉邸で出合える、色合い、質感ともに個性豊かな泰山タイルの数々には心が躍ります。


写真:1階化粧室。2017年 撮影:傍島利浩

  • 1階化粧室の布目タイル。裏足に泰山マークがある。
  • 玄関の床の布目タイル。
  • 2階浴室の布目タイル。浴槽と壁が出合うところ用として特別に焼成された役物(やくもの)。
  • 応接室の暖炉両袖の辰砂手タイル。
  • 応接室の暖炉。
  • 1階化粧室の布目タイル。裏足に泰山マークがある。
    撮影:傍島利浩、所蔵:前田建設工業株式会社
  • 玄関の床の布目タイル。
    撮影:傍島利浩、所蔵:前田建設工業株式会社
  • 2階浴室の布目タイル。浴槽と壁が出合うところ用として特別に焼成された役物(やくもの)。
    撮影:傍島利浩、所蔵:前田建設工業株式会社
  • 応接室の暖炉両袖の辰砂手タイル。
    撮影:傍島利浩、所蔵:前田建設工業株式会社
  • 応接室の暖炉。
    2018年 撮影:傍島利浩
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