展示内容
紀元前4000年ごろの古代から近代(19世紀)まで、7000点を超えるタイルコレクションから地域別(オリエント、イスラーム、スペイン、オランダ、イギリス、中国、日本)にコーナーを設けて展示しています。
このなかには、エジプトのピラミッド内部を飾った世界最古の施釉タイル、記録用としての粘土板文書、中近東のモスクを飾ったタイル、スペインのタイル絵、中国の染付磁器にあこがれたオランダタイル、イギリスの近代タイル、古代中国の墓に用いられたやきものの柱、茶道具に転用された敷瓦、ドイツの陶板画など、見どころがふんだんにあります。どのタイルも、異国の文化や新たな技術の交流からより深い価値を見出そうとした陶工たちの工夫と情熱の跡が感じられます。
オリエント
紀元前数千年の時代、砂漠の続くエジプトやメソポタミアでは、王や神への畏敬の念から、人々は不可能を可能にするほどの試行錯誤と労力によりピラミッドや神殿を装飾した。 メソポタミアでは、単調な土の壁を装飾するために、頭部を着色した円錐形のやきもの(クレイペグ)を何万本もつくって、土壁の表面に並べ、幾何学模様を描き出すことに成功した。エジプトでは砂から青色のタイルをつくり、王の魂の再生を願った。 イスラーム
7世紀のアラビア半島を起点として、短期間に広大な地域に拡がったイスラーム文化。灼熱の砂漠など厳しい風土の中で生き抜くために、人々がよりどころとした神への信仰の気持ちから、「装飾する魂」が萌芽し、幾何学模様を極めた装飾の宇宙を、礼拝の場であるモスクなどの宗教施設や王侯貴族の居館に展開した。 最も長い歴史を持つイスラーム文化圏では、今も往時のタイルが残り、タイル装飾の技術と細工の極致に、来訪者の驚きと感嘆が絶えない。 スペイン
8世紀にイベリア半島に上陸したイスラーム教徒はこの地に高度な芸術・文化をもたらし、15世紀以降のキリスト教の支配下でもその芸術・文化は継承される。 スペインの街は今もアルハンブラ宮殿に代表されるイスラームの芸術・文化を色濃く残しているが、タイルも幾何学模様などのイスラーム様式のものが16世紀頃まで続く。その後、イタリアのマジョリカの影響を受けた、白地多彩の図柄が描かれたマジョリカタイルが生まれ、庶民の間でも使われ始めた。 オランダ
17~18世紀のオランダでは、大航海時代を迎えて富を蓄えた新しい市民層が台頭してきた。タイルによる装飾は、もはや神のためのものではなく人間のためにあるものだと、慎ましやかに生活の中に取り込むようになった。 フェルメールの絵画にも、床の幅木にタイルが使われている様子が描かれている。なかでも人気なのが、中国の染付磁器の影響を受けた、デルフト焼と呼ばれる陶器質の白地藍彩タイルであった。 イギリス
産業革命の時代に富を得た人々は、新しい文化を生活の中に貪欲に取り込んでいった。なかでも芸術性や清潔感に富むタイルは、高まる衛生志向とともに住宅には欠かせないものとして中産階級を中心に普及していった。 機械による大量生産が可能になり、1900年前後の建築ブームの中、ミントンやウェッジウッドなどの多くのタイルメーカーによって、多様な様式のタイルが生産された。一方で、画一的な工業製品への反動から、従来の手仕事を再評価するアーツ・アンド・クラフツ運動が起こった。 中国
中国には、長いやきものの歴史があるが、特に明代、清代の染付磁器は、東西文化の交流の中で中近東のイスラーム圏やヨーロッパで憧れを持って迎えられた。 その結果、ヨーロッパでは、オランダのデルフト焼に代表されるブルー&ホワイトの器物やタイルが人気を博すなど、中国のやきものは西洋のやきものに非常に大きな影響を与えた。一方、中国には低温焼成の黒いれんががつくられ、万里の長城などのさまざまな土木工事や建築材料として使われてきた。 日本
古来、日本の建築は木と土と紙でつくられ、素材のもつ美しさを大切にしていた。西洋の装飾する感覚からは程遠く、繰り返しの装飾を取り込んだのは明治に入ってからである。 瀬戸でつくられた本業敷瓦は、西洋の影響を受けて白地に呉須の藍色で文様を絵付けした染付で、日本における最初の本格的なタイルとして、建物の水周りの壁や床に張られた。その後、ヴィクトリアンタイルを模倣したタイルが国産化され、国内のほかアジア諸国で使われるが、やがて日本独自の発展を歩み続け現在に至っている。 コレクション
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