伊奈製陶・INAX ものづくりのはじまり

INAXの創立者の出自は常滑の陶工でした。常滑焼は平安時代末期に庶民が使う茶碗や皿などが焼かれたのが始まりで、その後、大きな甕や壺などの生活雑器を中心に発展しました。江戸中期に小ぶりな急須などがつくられると、その素朴な味わいが当時の文化人に好まれ、次第に芸術品として認められるようになりました。創立者の先祖である初代・伊奈長三郎は、そんな時期に誕生した陶工の一人だったのです。

時代は変わって江戸の末期、四代目・長三郎の長男として生まれたのが、伊奈初之烝。初之烝と息子の長太郎(伊奈製陶、後のINAXの創立者。1926年に長三郎を襲名)は、明治の産業革命を経験し、急激な時代の変化や産業化の波が押し寄せるなか、斬新な発想で新しいアイディアを次々と実現していきます。家外小便所の特許を取得したり、アメリカのセントルイスで開催された世界大博覧会に「陶管」を出展し、銅賞を受賞したりしています。

初之烝・長太郎親子はやきもの製造の技術を買われ、フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル二代目本館(ライト館)の建築陶器を製作するためだけにつくられた「帝国ホテル煉瓦製作所(1917-21年)」の技術顧問に招かれました。二人はその力量を発揮し、250万個のスダレ煉瓦、150万個の穴抜け煉瓦、そして数万個のテラコッタを生産。帝国ホテル「ライト館」は無事完成し、ライトが残した名建築としてその美しさを国内外に誇ったのです。INAXの創立者とその父は職人たちと共に、ライトが望んだ色あいや魅力あるデザインを、建築部材として求められる高い品質で、限られた期間に大量生産することに成功しました。

日本の外装タイルの歴史は始まったばかりでしたが、味わいのある一つひとつのピースが空間をつくり上げていくという想いは、ここから始まり、現在もなお生きています。その後、さまざまな外装タイルがビル外壁に使われるようになり、日本の都市や街並みは美しく彩られていきます。

やきものは、土に水を加え、形をつくり、炎で焼いて、でき上がります。壁や床、空間を構成するタイルもやきものです。水と炎と対話し、土の力を引き出してこそ、タイルのデザインは完成します。
小さなタイル一つひとつに、設計者やお客さまの想いを結実させる。妥協することなく、魅力あるやきものづくりに挑戦し続ける。INAXのものづくりの原点は、ここにあります。


※帝国ホテル「ライト館」は1967(昭和42)年、設備の老朽化などから解体されましたが、その玄関部分は博物館明治村(愛知県犬山市)で復元され、装飾タイルは「INAXライブミュージアム」にも保管されています。


※帝国ホテル煉瓦製作所は、建築陶器の納品完了直後に閉鎖されましたが、初之烝・長太郎親子は、ここで働いていた職人を当時経営していた匿名組合伊奈製陶所に雇い入れました。これによって従業員の数が増えた伊奈製陶所は1924年、発展的解消をし、伊奈製陶株式会社が誕生しました。