山本コレクション

山本正之さんは大正9年(1920年)、兵庫県の“民平焼(みんぺいやき)”で有名な、淡路島の旧家に生まれました。小さい頃からやきものに囲まれて育ち、川で民平焼の破片を拾って遊んだり、蔵で茶道具に使う敷瓦を見たりしたことから、山本さんのやきものとの関わりは始まります。地元の海岸で泳いだときに、海底に揺れて見える陶片の美しさが長いあいだ目に焼き付いていた、といいます。

昭和13年(1938)、山本さんは伯父の経営する、東京日本橋のタイル卸問屋に入社します。明治32年(1899)創業のこのタイル商社は、大正初期に陶磁器店からタイル店に転じた、日本のタイル販売と施工業の草分けでした。入社をきっかけに、やきものの一つであるタイルとの、以後60余年にわたる深いつきあいが始まりました。やがて、タイルのルーツを求めて黄河、ナイル、インダス、ガンジス、ティグリス・ユーフラテスの4大文明の地も歩き、シルクロードを幾度も往復しました。タイルのルーツを探るその旅は世界中にわたり、合計すると50カ国以上の国々を巡ったことになります。

山本さんは昭和63年(1988)に全国タイル業協会会長に就任以来、平成2年(1990)には勲四等瑞宝章、平成8年(1996)には「長くタイル業に携わり数々の工法を開発。その成果を広く業界に公開してタイルの施工と仕上げの改良に努めた功績」と、「展覧会への出品や論考を通してタイルのもつ文化的価値の探求と高揚に寄与した」として、日本建築学会文化賞を受賞しています。山本さんの功績は、暮らしの中にある建築材料のたった一片のタイルが、各国の風土や歴史を語り、人間の暮らしや文化を示すことを教えてくれたことでした。山本さんのコレクションの一片一片が、技術や工法を示す特徴を備え、未来の進化のための知恵に満ちたものでした。加えて、幼少から鍛えられたやきもの審美眼で選び取ったそれらは、各地にうまれるべくして生まれた、ものの成り立ちの原点を示しています。生きること全てがタイルに繋がっていた山本正之さんは平成12年(2000)に亡くなられ、ここ常滑に「世界のタイル博物館」という貴重な宝を残しました。大好きなタイルに捧げられた山本さんの生涯は、期せずして日本の暮らしのなかにタイルが普及していく"タイルの近代史"としても読み解くことができます。

世界のタイル博物館で収蔵されている山本コレクションは、約3000種類・6000点のタイルを中心とするやきもので、タイルの他に少量の壺や皿などの器物のほか、陶板画や障壁画、陶片などがあります。タイル以外の資料は、タイルの歴史やデザイン、製法に関連があるとして収集されたものです。なかでも安土桃山時代のものとされる障壁画は、中国の宮廷の様子を描いた帝鑑図と呼ばれるもので、そこに描かれている建物の回廊や床にタイルが描かれています。タイル文化の貴重な証拠としてこの資料を購入した山本さんの情熱が感じ取れます。

タイルは、中近東、ヨーロッパ、中国、日本など世界約25ヶ国から収集されています。時代的には、古代オリエントからイスラーム文化が世界に広まった7~15世紀、東インド会社などが活躍した16~18世紀の東西文化融合の時代、華やかで確かな技術で展開された、産業革命後のイギリス19~20世紀初頭で、タイルが誕生し発達していく過程を知ることができます。