LIXILギャラリー企画「クリエイションの未来展」について
LIXILギャラリー企画「クリエイションの未来展」では、日本の建築・美術界を牽引する4人のクリエイター、清水敏男(アートディレクター)、宮田亮平(金工作家)、伊東豊雄(建築家)、隈研吾(建築家)を監修者に迎え、それぞれ3ケ月ごとの会期で、独自のテーマで現在進行形の考えを具現化した展覧会を開催しています。
→ Art and Architecture Exhibitions (GALLERY2)
©西部裕介
建築家 伊東豊雄氏が取り組む、日本の伝統文化を蘇らせるこれからのライフスタイル
「クリエイションの未来展」第15回となる今回は、建築家の伊東豊雄氏による「聖地・大三島を護る=創る」を開催します。本展は2011年の「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」の開館以来、瀬戸内海に位置する大三島を舞台に伊東氏が取り組んでいる、これからのライフスタイルの提案です。2018年度は、自給自足・地域内循環を目指すための活動を始めます。農業を次世代へつなげるための支援、宿泊施設・大三島憩の家の活用、参道の活性化につなげる島の交通の充実などに加えて、オーベルジュの設計などこれまでの継続した活動も行います。本展の会場では実際に大三島で暮らす7人のドキュメンタリーを映像や写真、模型にて展示します。
伊東氏が取り組んでいる日本伝統文化の記憶を蘇らせる暮らしの試みです。
左:移住して有機農業を営む吉川努さん ©吉野歩
右:大三島ふるさと憩の家 ©吉野歩
作家からのコメント
大三島は多島海、瀬戸内にあっても特別な島です。何故なら大山祇神社の存在によって、古くは「御島」と記されたように、神の島とされていたからです。
大山祇神社は推古天皇の時代、594年に創建したと伝えられ、日本総鎮守として全国に1万以上の支社を持つと言われています。
神社は背後に鷲ケ頭山を抱き、宮浦港から参道を介して海に結ばれていました。大山祇神を祀る代表的な神社として「山の神」であると同時に、海に開かれ村上海賊も戦の前に詣でたので「海の神」「戦いの神」としても崇められていたようです。島にアクセスするには船によるしかありませんでした。
このため島は全く開発も行われず、農耕のみが営まれ、美しい伝統的な風景が継承されてきたのです。島として自立し、独自の秩序が護られてきました。
しかし2006年に尾道―今治を結ぶ「しまなみ海道」の開通によって、大三島にもハイウェイで到達できるようになりました。その結果、大山祗神社に参拝する人のほとんどはマイカーやバスで訪れるようになり、船で港から参道を通って参拝する人は皆無となってしまいました。便利になったとは言えるでしょうが、伝統的な神社詣の意味は失われてしまったのです。
大三島が護ってきた島独特の秩序は「しまなみ海道」という近代的な交通手段によって崩壊しつつあります。即ち島の周囲にはりめぐらされていた「結界」が破壊され、「聖地」としての大三島の特異性が失われかかっているのです。
「聖地」とは中沢新一氏によれば、次のような場所だと述べています。(アースダイバー東京の聖地 −講談社)
@ 「結界」によって周囲から自立したシステムを持つ特別な地域であること
A 「自然」に結ばれる回路を備えていること
B 単なる観光地でなく、人々がそこで生き生きとした活動をしていること
中沢氏は東京の聖地として「築地市場」や「明治神宮 内苑/外苑」を挙げていますが、上記3条件に照らせば、大三島もまた「聖地」だと言えるでしょう。「築地市場」や「明治神宮外苑」がグローバル経済によって「聖地」崩壊の危機にさらされているように、大三島も「しまなみ海道」の開通によって同様な危機に瀕しているのです。
私達は島の現況を受け入れた上で、なお島が「聖地」としての美しさを保ち続けて欲しい。そのような願いはどのようにして叶えられるのでしょうか。
左:参道マーケットでの結婚式 ©高橋マナミ
中:改修中の大三島ふるさと憩の家nbsp; ©伊東建築塾
右:大三島みんなの家でのクリスマス会 ©伊藤建築塾
大三島には大山祇神社の参拝客ばかりでなく、年間30万人ものサイクリストが「しまなみ海道」を通過していると言われています。経済的豊かさのみを求めて、大資本によって島を開発すれば、島は単なる「観光地」になってしまうでしょう。島独自の秩序は失われて、グローバル経済に覆われた島になってしまうようなことは、決して島の人々の本意ではないと思われます。長く住んできた島の住民は私達に対し、「このまま何もせんでええんじゃ。わしらは幸せだから。」と言います。しかしこのまま放置すると若者は島を出ていったまま戻ってこない。高齢化はますます進行して、やがて限界集落となってしまうに違いありません。こうした悩みは大三島だけでなく、日本の過疎地域全体に関わる深刻な問題です。
私達はこの数年間、空き家を修復して「みんなの家」とし、近隣住民の人々が集まることの出来る施設にしたり、柑橘の栽培放棄地を借りて葡萄畑に変えて住民の協力を得ながらワインづくりを始めるなど、小さな活動を続けてきました。
左:ぶどう畑の収穫祭 ©吉野歩
右:収穫されたぶどう ©吉野歩
そして大山祇神社の参拝者や「しまなみ海道」のサイクリスト達が島を訪れてくれるのは有難い限りですが、単なる観光客としてではなく、彼らの明日のライフスタイルを探すために島を訪れて欲しいのです。そのためには大三島が、「伝統を護りつつ未来へ向かって創造的である」ような島にならなくてはなりません。即ち「護ること」が「創ること」と同義語であるような島になることです。
幸い島には「明日の大三島」を夢見て汗を流している若い人々がいます。今回の展示ではこうした人々の活動の一端を紹介しました。私達はこれらの人々と協力して大三島を「新しい聖地」とするべく、「護る=創る」活動を続けていきたいと考えています。
2018年2月18日 伊東豊雄
左:大三島ワイン「島紅」 ©吉野歩
中:大三島オーベルジュのイメージ ©伊東豊雄建築設計事務所
右:今治市伊東豊雄建築ミュージアム シルバーハットでのコンサート ©青木勝洋
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