2016年9月8日(木)- 11月28日(月)
※会期を延長いたしましたトークイベント 清水敏男 × 神馬啓佑 × 宮田彩加 ×山上渡
2016年10月3日(月)18:30〜20:00 ※参加無料・要予約
※終了しています
◆プレスリリース(709KB)
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LIXILギャラリー企画「クリエイションの未来展」について LIXILギャラリーは株式会社LIXILの文化活動の一環として2014年より「クリエイションの未来展」を開催しています。日本の建築・美術界を牽引する4人のクリエイター、清水敏男氏(アートディレクター)、宮田亮平氏(金工作家)、伊東豊雄氏(建築家)、隈研吾氏(建築家)が監修者として、独自のテーマで現在進行形の考えを具現化します。 → Art and Architecture Exhibitions (GALLERY2) 2016年9月 会場風景 「クリエイションの未来展」第9回の監修者、清水敏男について 清水敏男 Toshio SHIMIZU TOSHIO SHIMIZU ART OFFICE代表取締役、学習院女子大学・大学院教授、キュレーター、美術評論家。1953年東京生まれ。ルーヴル美術館大学修士課程修了。東京都庭園美術館、水戸芸術館現代美術センター芸術監督を経て、現在は展覧会やアートイベントの開催、パブリックアートのプロデュースを中心に活動している。最近の主な活動に、「上海万国博覧会日本産業館トステムブース・アートディレクション」、「東京ミッドタウン・アートワーク」、「豊洲フロント・アートワーク」、「名古屋ルーセントタワー・アートワーク」、「いわて県民情報交流センター・アートワーク」、「ミューザ川崎・アートワーク」、「オノ・ヨーコ BELL OF PEACE 平和の鐘(学習院女子大学)」、「THE MIRROR」、「大手町フィナンシャルシティ」がある。 撮影:Herbie Yamaguchi 監修者からのコメント 「スピリチュアル・イマジネーション 想像力の霊性」 芸術の本質は霊性にある。霊性とは限りある時空を生きる人間が憧れる非物質的で普遍的な領域にかかわることである。 非物質的で普遍的な領域の存在についての思いは、おそらく人類が記憶を書き記すことを始める以前からあった。先史時代の土偶、洞窟壁画など多くの遺品は人類がそうした領域の存在を想定していたことを語っている。やがて人類は複雑な文明を築いていくのだが、たとえばエジプトに現れた文明が残した膨大な建築、絵画、彫刻類はそうした領域の存在にかかわるものだ。日本の縄文以来の土器類、埴輪もそうした領域の存在を想定している。 プラトンは「感覚される領域と思考(あるいは直知)される領域を区別して、後者を前者よりも実在性の高いものとみなした。例えば目に見える美しい色や形は感覚領域にあるが、美しさそのもの(美のイデア)は思考領域にある」(水地宗明『新プラトン主義を学ぶ人のために』p.10)と考えた。この考え方はプロティノスの新プラトン主義を生み西欧の思考に多大な影響を与え続けたが、20世紀の西田哲学(『善の研究』)に連なると同時に西田ではアジアで生まれた思考も大きな影響を与えている。西田はそれを「無」と考えた。 人類誕生の初期からそして地球上のさまざまな場所で、非物質的で普遍的な領域の存在を想定することは人類の主要かつ重要な思考となってきた。そうしたことが世界各地でおこなわれ、それが現在まで続いていることは1989年の展覧会『大地の魔術師たち』(ジャン=ユベール・マルタン、ポンピドゥーセンター)が明らかにした。 芸術は物質によって成り立っている。我々はその物質性を楽しんでいる。美しい線、巧みに選ばれた色彩、その塗り方の絶妙さを愛でないものはいないだろう。磁器の名品に溢れる品性、なめらかな表面の輝き、もしくは艶消しの陰影を眺めてしばし時を忘れる。しかしそうした物質への賛美はそこで止まるものではない、と考えることは自然なことだろう。現象の背後には何か時空を超えたものがある。それは人類が長きにわたって考えてきたことなのだから。 ところでその背後にある何か共通した価値を探ることは実は美術界では今重要な課題であると思う。それはまず、マルセル・デュシャンが感覚的な手仕事と思考領域(コンセプト)を明確に分けたことに端を発する問題、『大地の魔術師たち』が提議した問題などに加え、この日本において「美術」ということばの定義が、日本が過去数百年発展させてきた「美術」の概念と齟齬をきたしていること、20世紀後半に日本では「美術」が「アート」ということばに置き換わった問題、「アート」がエンターテインメントと区別がつかなくなっている問題など未解決案件が山のようにあるのだ。 最近、非西欧の「アート」を対象としたフランス国立ケ・ブランリ美術館元館長ジェルマン・ヴィアットとこの問題について話しあう機会があった。ヴィアット元館長は同館での民藝の展示を通じて深く思考する機会を得たという。非西欧文化圏にある日本の民藝の概念と西欧の「美術」の概念をどのように接続することが可能か、もしくは人類の創造を包括できるより大きな概念は可能か、という問題である。 私はそこに非物質の霊性(スピリチュアル)に関する想像力について想起せざるをえない。人類はもともと霊性を求めることを連綿と行ってきたのだから。 本展覧会では三人の作家、神馬啓佑、宮田彩加、山上渡が霊性と想像力について考え、作品を制作し、キュレーターとともに展示を通じて表現することを目指している。 この三人はもともと触覚的かつ視覚的な作品を制作している。プラトンのいう感覚領域である。神馬は指頭画(指で絵の具を使って描く)を制作してきた。触覚から生まれる絵画は、粘土を捏ねるまたは海水を攪拌して世界を作った創造神話とつながっている。宮田は刺繍という物質感、肌触りを重要な要素とする作品を制作している。山上は粘菌に多大な関心を抱いている。粘菌は動物と植物の両方の性格を合わせもった生命で、南方熊楠をとりこにした。きわめて触覚的である。こうして彼らはともに複合的な感覚領域に深く関わっている。 しかし例えば神馬は制作において「神」が降りてくることを待つという。それは感覚領域以前に、スピリチュアルな何ものかと想像力の触手を伸ばしてつながることではじめて感覚が目覚め物質化するということではないだろうか。 西欧近代文化は視覚に偏執的こだわってきた。それは17世紀のガリレオ・ガリレイやデカルト以来、理性へ過剰によりかかってきたことが原因だ。しかし三名の作家はそうした状況に対してごく自然の成り行きでそれとは異なった思考を示している。霊性という非物質領域との関わりが芸術の本質であり、世界の「アート」を包括的に定義してくれる概念ではないかと予感している。本展覧会はその一歩である。 清水敏男 左:神馬啓佑 《nice to meet you》 2016 acrylic on cotton and wood 245cm x 168cm ©上野則宏 中央:宮田彩加 《ジャガーの形態と対称性》 2014 ミシン糸 約80cm x 62cm ©南竜司 右:山上渡 《Rite of passage》 2014 キャンバスにアクリル 162cm x 97cm |
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2016 | 「VOCA展 現代美術の展望−新しい平面の作家たち−」(上野の森美術館、東京) 「架設」(京都精華大学 対峰館、京都) |
2015 | 「塑性について」(Division、京都) 、(N-mark、愛知) 「まぼろしとのつきあい方」(Galerie Aube、京都) 「眼球に近い面」(東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス、京都) |
2014 | 「THE MIRROR」(名古屋商工会館、東京) |
2016 | 「琳派400年記念新鋭選抜展 ‐琳派FOREVER‐」日本経済新聞社京都支社賞(京都文化博物館、京都) |
2015 | 「花を形成するプロット」(H.P.FRANCE WINDOW GALLERY MARUNOUCHI、東京) |
2014 | 「京展」京展賞(京都市美術館、京都) 「KUAD Graduates Under 30 Selected」KUADオーディエンス賞(Galerie Aube、京都) 「THE MIRROR」(名古屋商工会館、東京)など。 |
2014 | 「THE MIRROR」(名古屋商工会館、東京) 「六本木アートナイト 2014」(東京ミッドタウン他、東京) 「ミッドタウンストリートミュージアム」(東京ミッドタウン、東京) |
2013 | 「Tokyo Midtown Award 2013」準グランプリ、オーディエンス賞受賞(東京ミッドタウン、東京) |
2009 | 岡本太郎現代芸術賞 特別賞受賞 |