2012年7月18日 インタビュー:大橋恵美(LIXILギャラリー)
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大橋 |
「意図的な偶然」シリーズはどのようにして生まれたのですか。
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牛島 |
「意図的な偶然」は2008年頃から始めた連作で、日常生活で私が実際に拾ったモノや私にとって思い入れのあるモノと、文字を刺繍した布で構成する作品です。
それまで価値のなかったモノが何かをきっかけに価値のあるモノにみえる時があります。大抵の場合それは錯覚だと思うのですが、そのことをもう少し知りたいと思って始めました。
私は大学では彫刻を専攻していて、研究生を含めた4年間、石彫に取り組みました。ある時から、ゼロからモノをつくるという作業では、思っているものがつくれないかもしれないと考え、石を彫るのを止めることにしました。それから、自分がつくった彫刻に文字を貼ってみたり、既製品にシルクスクリーンで文字を刷ってみたりしているうちに、モノと言葉の関係を考えるようになりました。
その後、モノと言葉を組み合わせて、ある一場面をつくる「scene」という連作を始めました。ここでは、モノをゼロからつくらず、型を取ったり、割れた陶器の人形やコップなどを、ひたすら繋ぎ合わせたりしていました。
ゼロからモノをつくらないという作業が、「意図的な偶然」につながったのではないかと思います。
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大橋 |
モノと物語の関係性はどのようなものですか。
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牛島 |
「意図的な偶然」はすべて実話をもとにしています。この作品では、モノは挿絵のようなものだと言えます。これについては、それではあまりにも単純でつまらないという見方もあるかと思います。私自身は、あるモノの横に、テキストを刺繍した布を添えることによって、モノ自体は何も変わっていないのに、そのモノの見え方や強度が変化するということに興味があります。
今はそれから少し進み、身のまわりに存在するモノや事実を再構成する、編集するというような作業に可能性を感じています。
2010年以降の展覧会では、拾った小さなモノ500個も加えて展示するようになりました。
町を歩くと小さいモノがよく落ちているんです。中でも持ち主を想像できるモノ、ポケットに入れて持ち歩ける大きさのモノが好きで拾っています。
全く知らない人が所有していたモノを、自分が所有するという独特な感じがなんだかどきどきします。出会うはずがないモノが、出会う場所でない所で出会う、500人の個人的な出来事を一度に見たような気になり、美しいと思いました。
これまでの制作テーマは個人的なものばかりでしたが、拾ったモノを通して、社会や他の人のことを考察できるような広がりを感じています。
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大橋 |
刺繍での表現が印象的です。
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牛島 |
2006年までは、刺繍以外にも水や落ち葉やベッドの皺などで文字をつくったりしていましたが、言葉の在り方として、今のところ、刺繍が一番うまくいっているような気がしています。声優を目指している女の子にいろんなパターンでテキストを読んでもらったり、色々と試したりもしたのですが、あまりうまくいきませんでした。言葉は、映画の様に音や光とも相性が良いとは思うのですが、まずは物質としてきちんと表現することができればと思っています。
物語を展開する方法には、映像、小説、演劇などがあると思うのですが、私が語りたいと思っている種類の物語をつくるためにフィットする方法をうまく見つけることができないでいる状態です。
今展でも発表する新作も、その方法を模索する試行錯誤のうちの一つです。
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大橋 |
どのような物語をつくりたいのでしょうか。
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牛島 |
これまで、「scene」と「意図的な偶然」という二つの連作に取り組んできました。
「scene」は物語をつくる上で必要な設定や構成は一切せず、みた夢や脈絡なく頭の中で起こったことなどを題材にして、出来た順に制作・発表していくというもので、内省的な作業と物語のつくり方の一つの提案でした。
一方、「意図的な偶然」は、事実をもとにしてつくられた私の個人的な日記のようなものだと言えます。
この二つの連作は、今後も続けていくつもりです。
今展では新作を制作していますが、全て実話をもとにしているのですが、数種類の話を混ぜ合わせたりして、今までとは違う物語のつくり方を試しています。
言葉で説明するのは難しいのですが、何も起きないような物語をつくれればと思っています。
最近では、DVDの映画を1日に決めた分だけ通常とは少し変わった観方で観るようにしています。その他は、ラジオの音声を書き留めたり、新聞をスクラップしたりするようになりました。
これらが何になるのか分かりませんが、次作につながればと思っています。
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/インタビュー終了//>