やきもの展 GALLERY3




展覧会案内

三木陽子 展 -“PET SHOP”installation of  ceramics 現実と地続きのファンタジー-<br> Miki Yoko Exhibition

三木陽子 展 -“PET SHOP”installation of ceramics 現実と地続きのファンタジー-
Miki Yoko Exhibition

2010年10月8日(金)〜11月4日(木)

■ 休館日
日祝日
■ 開館時間
10:00〜18:00
■ 観覧料
無料

アーティスト・トーク  10月8日(金)18:30〜19:00

プレスリリースpdf_icon_s.gif ※ご覧いただくにはAdobe Reader が必要です。

Chihuahua/H330×W220×D190mm/2010/ceramic/Photo:Hiroshi OHNO



展示会概要



顔のついたドアノブ、犬の頭につながる配管、生きもののようにくねるチューブ、クッションに宿る子どもの顔、古い建物のタイルに浮かぶねずみ、横たわる部品のような奇妙なもの・・・三木陽子のモノトーンの陶のオブジェで統一された世界は、端正で静けさの中に沈んでいるようです。
でも、ひとつひとつのディティールに気がついた時、驚きと同時に、此処ではない何処か他の場所に入り込んでしまったような、微かな恐怖を憶える迫力あるインスタレーションです。
陶で制作を続ける彼女は「素材の土に触れた時、同時に自分の内部も感じます。触覚は、外部と内部、無意識と意識を結びつける根源的な感覚であり、私にインスピレーションと力を与えてくれます。」と語っています。
1963年生まれの三木陽子は1980年代のクレイワーク時代を経て、工業製品と動物や人体の一部が組み合わさった独特の陶のオブジェで空間を構成する作品を制作しています。
特に「TUBE LIFE」などの展覧会に登場するチューブのイメージを展開させたオブジェ群は、工業配管や胎内にある血管の、生命の供給や排除の象徴として用いられ、他の作品とともに暗喩や寓意をもつモチーフとして数多くつくられています。
そして異界への入り口として、好奇や恐怖の感情を配管や排水口に被せ、日常存在しているにもかかわらず見えない世界への誘いを表現しています。ふと、誰かが見ているような気配に振り返っても、そこにはいつもの見慣れたものや壁があるばかりといった、誰もが経験している日常のささやかな不思議体験や、彼女が好きなスティーブン・キングなどのホラー世界のイメージから、こうした世界を紡ぎあげています。
過去の展覧会「Kitchen」では食べる行為による生と死を表現した展示を行い、昨年の「耳枕」では眠りをテーマにした展覧会を開催しました。常に陰と陽の相反する世界の境界をつくり続けている三木は、今展では「PET SHOP」を題材にインスタレーションを行なう予定です。ぜひ会場でご覧下さい。
三木陽子
三木陽子三木陽子
三木陽子
三木陽子

INAXガレリアセラミカ 会場 2010

インタビュー
2010年7月9日 インタビュー:大橋恵美 (INAX文化推進部)
大橋 三木さんは2000年頃からチューブ作品などを拝見させて頂いていたのですが、ようやく開催が実現しました。この間さまざまな作品が生まれていますが、場にインスパイアされたインスタレーションが多いです。こうした作品が生まれた背景は。
三木 私は1980年代に大学生だったのですが、もともと美術の油画を目指しており、でも受験で失敗しまして、その時に八木一夫さんの図録を見せて頂く機会があり、陶芸という分野でこのような造形の世界もあるということをはじめて知って、その後大阪芸大の陶芸学科を受験し、入学しました。当時はバブルという時代背景もあり、あらゆるジャンルのアート作品がみなカラフルで巨大なものが多く、クレイワークというやきもので作品をつくるのが流行していました。大学では当時おられた田嶋悦子さんをはじめ、諸先輩方が皆そのような作品をがんがんつくっていて、「超少女」といわれる作品が生まれていた全盛期でした。そういう環境だったので、はじめから美術志向だった私は器をつくるという感覚もなく、それが原点で、今もこうした作品をつくっています。
大橋 本当にあの時代は作品が大きかったし、カラフルでした。その頃から考えると作品が小さくなりました。
三木 当初の衝動や勢いでつくっていた過剰さが自分の中で収まって、もっと内面的なものを求めるようになりました。時代もバブルが落ち着いて、「超少女」も落ち着き、美術の方はそれからもどんどん展開していき、でも現代陶芸の中でのアートの方向性においては停滞している感もあり、いつまでも「超少女」が元になっていて、その後は個人の表現ということではなく、何か土ありき伝統ありきの陶芸回帰というのがきたような、潮流が逆戻りして、そしてそれがずっと回転しているようなイメージがあります。
私自身は長い歴史をもつ陶芸、工芸という分野を当時よりは勉強しましたので、工芸というジャンル自体をまったく意識せずに表現をしているわけではないのですが、「超少女」の後に続く何かを何が出来るのかを自分なりに考えた時期がありました。
大橋 時代が陶芸回帰になった時に、それまで素材としては陶だったことに疑問はなかったのですか。彫刻をつくることも可能だったのでは。
三木 自分の中にもともとあるのは平面なんです。
少しの間ですが、やきものをやめようと思って絵を描いていた時もありました。でも自分の創造物が現実に存在するリアリティーが面白く、やっぱりやめられず仕事場をつくってまたやきものを始めました。何故やきものなのかと問われれば、イメージの上でも技術の面でも今つくれているものを他の素材でつくれるとは思わなかったし、土の触感や釉薬の質感、焼成など他の素材にはないさまざまな離れがたくなる、やきものならではの魅力は確実にあります。只、この作品は陶以外の他の素材でないとつくれないという確信がある場合は素材を変えることも必要だと思っていますし、そこを曲げてでも陶で表現しなければならないと思っている訳ではありません。今迄それをしなかったのは、そこまで自分の中で必然性がなかったのだと思います。
大橋 小さくなった作品には、手や足の一部分が登場してきました。人体はモチーフの基本にありますか。
三木 ありますね。古代のデコラティブな縄文土器など、その装飾は宇宙の根源的なものに直結しているように思えます。そういうものを感じさせるそれらの魔術的な表現は素晴らしく、私はそういうものに惹かれますし、やきものは手と素材が直接触れ合う時間が長く、その触覚性ゆえに自分の体質のようなものが作品に滲み出てきます。完成型のイメージを持たずに漠然と制作すると有機的でエロティックなフォルムが生まれたりもします。私は自分自身がそのようなプリミティブな感覚を強く持っていると感じていて、それを生かして体のリズムでオートマティックにどんどんつくっていくことも出来ましたし、実際にそのような方法で制作した増殖的で胎内的なイメージを作品化していた時代もありました。只、次の表現に向かうことが自分の中で必要になった時に、このままその身体の感覚的なものだけに頼っていては、繰り返しでいつまでたっても抜けられないと思いまして、そこで自分の体質的なものを全部抜こうと思ったんです。技法的にそういうものが出やすい手ひねりをやめて、ロクロや型にして出来るだけ触覚性というものを排除して、視覚性の強い表現の方へ移行しようとしました。
その時に今迄の抽象の根源的な表現に変わるモチーフとして人であったり、動物であったりの具象の生き物のイメージが生まれてきたのだと思います。
大橋 ロクロによって、水道管のようなイメージが出てきたのですか。
三木 素材ありきで考えると、それで水道管、管なのか。やきものは中を空洞にしなければならず、それゆえによくやきものの作家の方々がコンセプトにしている内部と外部というのも考え方もあると思います。でも私の作品はそういうことだけではなく、スティーブン・キングとかホラー系の作品が好きなので、その影響もあります。彼の作品の中にも魔物が潜む水道管とか排水溝のようなものが出てくるじゃないですか。
大橋 そういうことだったんですか。
確かに三木さんのインスタレーションには怖いという印象を持っていました。
三木 私の表現はホラーの世界や霊的な世界のイメージと結びついています。そしてそれは現実と切り離された夢の世界ではなく、地続きに存在するという考えをもとに、日常の現実の中で見えている世界と見えていない世界、意識と無意識、生と死、陰と陽、それらの境界をテーマにしています。
大橋 若い人がサブカルチャーのファンタジーに惹かれるのと、三木さんのように経験を積まれた方では、もしかしたらそうしたことを現実に体験しているかもしれないし、重みが違いますね。
三木 自分の表現には一掃出来ないおりや澱みがあると思います。作家自体がコントロール出来ない何か、矛盾や破綻みたいなものを抱え込んでいる作品が、他の人の作品でも共感があります。
大橋 今回のセラミカのホワイトキューブではいかがでしょう。
三木 これまではホワイトキューブ以外での展示も多く、ホテルや住宅という日常的な空間からもいろいろなインスピレーションを得て展覧会をしてきました。
一番最近の個展では京都での庭や和室のある邸宅のギャラリー空間で「耳枕」というタイトルで眠りをテーマに展示をしました。セラミカではガラスケースの展示空間があり、そこからペットショップのイメージが湧きました。ペットショップは愛情の対象であり、家族的な存在でもある生命が売買される場所だと思うので、私の境界をテーマにした表現にしっくりきました。
大橋 何かストーリーを連想させるような作品ですね。
三木 私の中でストーリーがあるのかと言われたら、ちょっと違いますね。
私という個人がつくる物語というよりは、誰が見ても共有感のあるモチーフを自分なりにデフォルメしたり、イメージを付け足したり、コラージュしたり、そういった作品で空間の中を構成していくという感じで制作しています。
作家略歴
1963 兵庫県生まれ
1986 大阪芸術大学芸術学部工芸学科陶芸専攻卒業
1988 大阪芸術大学芸術学部芸術専攻科工芸専攻修了
2001〜 大阪芸術大学芸術学部工芸科陶芸コース非常勤講師
個展
1988 ギャラリー白 (大阪)/'90
1993 ギャラリーマロニエ (京都)/'95,'97
2002 ギャラリータフ (京都)/'06
2005 ヴォイス・ギャラリーpsf/w (京都)/'07
ストリートギャラリー (兵庫)
2008 麻布十番ギャラリー (東京)
2009 ギャラリー揺(京都)
グループ展
1985 BOX MAKER'S SHOW (ギャラリーView, 大阪)/'86,'87
3人展 (ギャラリーピクチャー, 大阪) 
NEW FACE展 (ギャラリーView, 大阪)
1986 ハートWAパラダイス展 (ギャラリーView, 大阪)
2人展 (ギャラリー白, 大阪)
TO展 (アトリエ西宮, 兵庫)
1987 うねりのモーメント (HOT STUDIO, 大阪)
1988 -EMON・OSAKAジョイント展- (福岡市美術館,福岡)
1991 YOHEN-俑変-妖変 (ギャラリー白, 大阪)
1993 ETO展 (守口京阪百貨店, 大阪)/('93〜'05)
1994 FACE TO FACE (ギャラリーココ, 京都 )
ミニアチュール1994 (ギャラリーココ, 京都)/'95
1996 12日間の小品展 (ギャラリータフ, 京都)
1998 -FUKUSUKE- (ギャラリーにしかわ, 京都)
1999 兎うさぎ何みて跳ねる展 (ウエストベスギャラリーコヅカ, 名古屋)
ザ..オマモリ展 (ギャラリーマロニエ, 京都)/'00
PRIN RECORD展 (SUMISO, 大阪)/'00
2001 THE BAG 街を歩くアート (ギャラリーにしかわ, 京都)
喫茶思考 (近鉄阿倍野百貨店, 大阪)
2002 ふたのあるかたち(ギャラリーにしかわ, 京都)
2004 stay with art 〜境界線〜 ( HOTEL T'POINT, 大阪 )
2005 multiple market(ヴォイス・ギャラリーpfs/w, 京都)
美の冒険者たち−大阪芸術大学造形系学科教員作品展 (アートコートギャラリー, 大阪)/'06
shopping art exhibition (「shin-bi」, 京都)
2006 art in transit (ザ・パレスサイドホテル, 京都)
2007 フタのあるカタチ展(多治見市文化工房 ギャラリーヴォイス、岐阜)
2009 アジア現代陶芸 新世代の交感展(愛知県陶磁資料館, 愛知)
韓日米 青年作家交流展 −逍遙遊−(韓国工芸文化振興院, ソウル.韓国)
2010 「蛙、はねる、水無月展」〜アーティストによるカエルコレクション〜(阪急うめだ本店,大阪)
公募展
1986 朝日現代クラフト展 (東京, 大阪)
八木一夫賞現代陶芸展'86 (京都, 大阪)/'87
第1回 国際陶磁器展美濃'86 (岐阜)
2004 公募 京都芸術センター2004 "How would you make the world better? " (京都)
■オフィシャルサイト
http://www.mikiyoko.com/

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