2009年5月1日 インタビュー:大橋恵美 (INAX文化推進部)
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大橋 |
梶木さんの作品は染付が印象的ですが、絵付けがお好きなんですか。
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梶木 |
最初は上絵への興味から入ったんです。
筑波大の窯芸コースに入ったんですけど、陶芸の単位が少なくてそれだけでは卒業もできないんです。私はその前にいた日本画コースの時の単位と合わせて取得しました。
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大橋 |
梶木さんは何をやりたくて筑波大に進んだのですか。
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梶木 |
もともとは白稜高校という進学校へ入学して、東大の法学部にでも行きたいと思っていたんですが、実際に高校に入ってみたら皆がすごかった。そこで大学4年間は好きな事をやって普通に就職しようと思った。その時何が好きか考えて、絵を描くのが好きだったので、美術系に行こうと思ったんです。条件として国公立で、現役で、日本画でと探したら、筑波大になった。日本画に憧れていたんですが、入ってみたら、実際にはひとつひとつのプロセスが苦痛でしかなかった。写生し、拡大し、トレースし、胡粉団子つくって、水干やって、やっと岩絵の具になる。作業が単調で、早く描きたいのにと思いました。
2年生の時に基礎の授業の陶芸で器をつくったら「しまった、こっちやった」と思った。それでなんとか窯芸へ転科したんです。
大学では中国語も専攻していて、中国語学の先生に「卒業したら中国に語学留学をしようと思います」と言ったら、「行くのなら語学でなく専門で行きなさい」とアドバイスされ、奨学金について調べて志望を出したのですが、「あなたには景徳鎮陶瓷学院に行ってもらいます」ということになった。陶芸をやっていたので学校の存在自体は知っていたのですが、嬉しいのと同時に怖かったです。そんな縁で1年半留学しました。
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大橋 |
梶木さんは日本では陶土だったんですか。
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梶木 |
いいえ、陶芸始めて半年くらいから磁土でした。ロクロで。
でも景徳鎮では授業のタイミングで染付の授業になかなか当たらなかった。せっかく来ているので染付をやりたいと思って、近くの工場で茶器とかつくっている職人さんの横で、お願いして練習させてもらいました。すごく面白かった。
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大橋 |
景徳鎮での滞在が今の梶木さんをつくっている感じがしますね。
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梶木 |
物価が安いので海外からたくさん人が来ていて、皆そこに家を買ったり、借りたりして作品をつくっているんです。窯は毎日必ずどこかで焚いているので、いつでも焼いてもらえるんです。
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大橋 |
それはすごく良いですね。
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梶木 |
そうして景徳鎮ではどっぷり伝統に浸かっていたんですけど、留学する前に
茨城県陶芸美術館の「現代陶芸の華」という展覧会で、川口淳先生の作品を初めて観て衝撃を受けた。伝統も大事だけど、オブジェも気になって、自分の気になる作家さん達が京都市立芸大を出ていたので、京都市立芸大の大学院へ進んだんです。川口先生に近づこうと。
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大橋 |
タイトルもそうですけど、中国的なモチーフがたくさん出てくるのは景徳鎮へ留学してからですか。
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梶木 |
オブジェ作品で初めてつくったのが、「駱駝走絲繍之路」(2006年)なんです。2作目が「飛往銀河」(2006年)で、この時までは文様の写しとか絶対しんとこうと思って、技術を抑えて、京芸っぽいオブジェをつくろうと思っていたんです。でも抑えているとフラストレーションが溜まって。でも何かをやると誰かに似ていると思われるのが怖くて中途半端だったのが、最後の方の制作展の頃に爆発した。川口先生もその年度でやめちゃうし、自分の中ではこれが最後みたいな感じでした。
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大橋 |
そそれが「カジキュー拝ランド」(2007年)ですね。ようやく梶木さんらしくなった。
できる人の陥りやすい罠は、体には合わないのにやれるような気がしていっちゃう。個々の持っている感性はもっと深くて色々なのに、立派だと言われるものをまず押さえてから最後に自分のものにいこうとする。梶木さんらしいものとは中華的なエキゾチズムですか。
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梶木 |
中国は小さな頃から好きだったんで根強い。
キョンシーの世代なんです。その話をある先生にしたら、日本の子供がアジアのものを見て衝撃を受けるのは、すっかり西洋化してしまったからだと言われたので、ほんまにそうやなと思って。呪術的なおまじないの世界が衝撃的で、キョンシーの世界が忘れられないんです。
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大橋 |
作品は愛でたり、愛玩したりするものという意識はあるんですか。
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梶木 |
私の作品は工芸でありたい。家の中に置いてあって、ちょっと開けてみようかなと。
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大橋 |
それは愛玩したり、にやっと笑ったりするものですよね。特に中国の工芸品にはよく見かけますね。
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梶木 |
景徳鎮の骨董市場でそういうものを見かけて、うちはこういうのに感動するんや、面白いと思うんやと。
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大橋 |
つくる時にはどういう仕組みにするか最初に考えるんですか。
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梶木 |
いいえ、最初はタイトルから考えるんです。散歩の時思いついた言葉とか、ヒップホップが好きなのでラップで韻を踏んでいるみたいな感じで、イメージを膨らませて、つくりたいかたちを合わせていく。
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大橋 |
物語を自分の中でつくるんですか。
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梶木 |
「あばよ達」(2007年)は葬式のイメージで、基本的にだいたい作品は暗いんです。
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大橋 |
ブラックユーモアみたいなものが利いているのが、皆を捕らえる。
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梶木 |
この時赤土を使ってみて、私はやっぱり磁土が好きで、完全に磁土用の手になっていると思いました。染付もやり続けたいのですが、今は色絵よりも釉薬でやっていきたいと思います。「ワタシマグロ」(2008年)では辰砂を使ったんです。
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大橋 |
これからまた6月には中国に行かれるんですよね。
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梶木 |
重慶です。向こうの学校に勤務する予定なんです。でも現在の職業はニートです。陶芸家、作家ではないんです。作品を売って食べたくないんです。就職するなりバイトするなりで生活はしたいんです。
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大橋 |
重慶は古都で良い街なんですよね。
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梶木 |
重慶と言うより中国に身を置きたいんです。台湾も香港も好きなんですけど、やっぱり大陸の土っぽい感じが一番合う。
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大橋 |
今展はどんな展示になりますか。
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梶木 |
重慶の学校に視察に行った時に、街がいつもずっと霞んでいた。出店がたくさん出ているタイムスリップしたみたいな所があって、長江の川原で射的やお面を売っていたりするんです。重慶で見た風景を、私は「マボロシ・チョンキンパーク」と名前をつけて、その言葉からイメージを膨らませていこうと思います。中国茶器や中国の占い盤をモチーフにしたものなどで、「チョンキンパーク」をつくりたいと思います。
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大橋 |
聞いているだけで欲しくなってきました。(笑)楽しみにしています。
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