2007年4月10日 インタビュー:入澤ユカ(INAXギャラリーチーフディレクター)
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入澤 |
そろそろ展覧会の準備はできましたか。 |
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南野 |
新しい作品をつくりたい気持ちはあるのですが、作風からも僕は多作ではないので、展覧会の半年位前からモヤモヤ、モヤモヤ考えていて、寸前の2,3ケ月前にダーって一気に。図面を描いて型紙とか型を用意して、つくり始めると何も考えていないです。
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入澤 |
工場みたいですね。 |
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南野 |
ひとり工場ですね。最初のうちはトラブルがあって、こういう組み立て方をしたら切れちゃうなとか、歪んじゃうなと。でもちょっとずつ慣れてくる。そういう作業をしているから、ほとんどかたちのことや作品のことなんか頭になくて、ただただ、数をこなすんですよ。僕の場合、あまり早くからつくり始めると途中で嫌になったりするんですよ。大掛かりだから、こうすれば良かったなと二月前位に思うても修正がきかない。だからギリギリまで粘っちゃうんです、つくり始めるの。 |
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入澤 |
それはスケールアップして、組み立てるような作品になってから顕著ですか。 |
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南野 |
そうですね。 |
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入澤 |
今のお話を聞いていると、誰かに組み立ての時や窯入れの時に手伝ってもらうとしても、自分がやらなきゃ、作品なんだからということの悩みでしょうか。
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南野 |
そうですね。今信楽に住んでいますから、こういう大きなレリーフ状のもの、モニュメント的なものをつくる工場とか何箇所かあります。大きな所では大塚オーミさんとか。こういうことをしてもらえる工場に、もちろん金銭面のこともありますが、おそらく出した方がもっと組むのも楽なものが出来上がってくるとは思うんですけどね。でもやっぱり、それは自分の作品として成立しない。今のところは自分の手でつくる。できるだけひとりでつくる。
信楽にある県立陶芸の森に勤めたことがありますが、あそこなんかでも、もっとスケールの大きいものができる。ゲストでたくさん来はる作家は、自分の制作に慣れたアシスタントを連れてくることもありますし、僕ら陶芸の森のスタッフが手足となってやることもありますし、機械を使ってやることもあるんですけど、僕は性分でそれできなくて。だから型ひとつひっくり返すのも、一人でできんと嫌なんですわ。
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入澤 |
格闘している。 |
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南野 |
そうなんです。
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入澤 |
何時頃から大きくなりましたか。並べるだけの作品は別として。 |
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南野 |
1997年辺りですかね。意識が変わったんです。
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入澤 |
型を使い出してからですよね。パーツの歩留まりはどのくらいですか。
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南野 |
歩留まりみたいに選別はあまりしないんです。つくったものは、ほぼすべて使っているんです。焼いて使わないものがあるのは嫌なんです。壊れるのは乾燥の時に壊れますね。細かく見ると切れたりしているので、構造的に持たないと思う時だけ。手びねりの作家とか、クラックが入ったら駄目な作家とかいますけど、そういうのは一切ないですね。 |
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入澤 |
それは自分は土で仕事をしているんだ、土にはそういう癖があるんだということを別に隠す必要はないと思われているんですね。南野さんの作品は、写真写りではシャープな印象がありますけど、実際見ると柔らかいですよね。人がつくったものなんだなと。少し開いているところと、ピタッとしているところでニュアンスがあって。私なんかも物量に感動しているわけでなくて、コンストラクションの面白さみたいなものや、機械みたい、車輌の一部みたいと連想が湧いて来るんですけど、でも名づけようのない南野さんオリジナルなんですよね。
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南野 |
正直に言うと、美術作品や陶芸作品より機械を見ている方が好きなんです。
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入澤 |
動くため、飛ぶため、走るための機械のメカニカルな合理性には、用の完全さみたいなすごさってありますよね。都市だとか、工場群だとかもお好きですか。
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南野 |
好きですね。あまり複雑なものは目には入って来ないんですけど、大きな建造物も好きです。目的にまっすぐな機械っていうのは美しく見えるんですね。
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入澤 |
ずっと昔のものでも、人間がつくり出すものの中にはその時代の最先端の合理性みたいなものがある。
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南野 | 言葉や文章にはなかなか表現できないんですけど、自分がやきものに惹かれている中から余計なものを、どんどん、どんどん省いていったら、こういう作品になったという感覚はあります。
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入澤 |
推察すると、南野さんの好きな機械や飛行機や橋や建築なんかの複合された素材でできているものは、ひとりではつくれない。だけど、やきものはひとりで完全につくれる。好きなかたちが、独り占めできるみたいな感じなんじゃないかな。
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南野 |
そうですね。それと僕は基本的に色音痴なんですね。色彩に対してイメージが豊富ではないんですよ。だから黒とか白になってきた。
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入澤 |
今日のお話を聞いていても、憧れているものは、色のない素材そのものに近いものですよね。作品の印象も建築物のようにも見える。建築の部分や機械の構造の表情をする時もあって、その不思議さみたいなものが魅力だなと。作品自体が、それこそ橋やダムに使われている何か用がありそうな装置にも見えてくる。その意外性みたいなところがとても新鮮です。全部自分がやりたいというところも面白い。
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南野 |
自分に大学入試の頃に学力があったら、絶対に理系に行っていた。僕は大学に入るまで、美術専門の予備校があるのも知らなかったんです。進学を考えていた時、漠然とデザインやりたいと。本当はIDに行きたかったんです。車とか好きですし、でもそういう道ってどうやって行くんだろうと。
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入澤 |
周辺にそういう人はいなかったんですか。
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南野 |
まったく、いなかったです。
当然そういう勉強もしていなかったし、取りあえず大阪芸大を受けたら、落ちますよね。それで系列の短期大学に入れたんですね。そこはインダストリアルデザインはなかったんですが、デザイン美術学科でグラフィックやインテリアはあって、大阪芸術大学へ編入する道はあったので、取りあえずそこに行った。
行ったら1年生は専攻がなくて、いろんなコースをやらなあかん。絵画があり、彫刻があり、そこに陶芸があったんです。それで陶芸の実習を受けてみたら居心地が良かった。ロクロひいている人がいて、これをしたいと直感で。もう素直に自分の手で直接触れてものがつくれる。インテリアやグラフィックは、さっき言ったように色のセンスがあまりよくないとわかっちゃったから。
ちょうどその頃、田嶋悦子や堤展子という大阪芸大出身の作家の人達が活躍し始めた時期で、あの人らが短大によく来てはったんです。あの人らは、短大の卒業生でもなんでもないのに、当時は出入り自由な学校だったので、来て作品をつくっていたりしていた。それを見てホゥと。こんな陶芸もあるのやと二重のびっくり。そこから吸い込まれていっちゃったんですね。
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入澤 |
そこから飽きずに十数年ですね。今展は、東京のガレリアセラミカで先に展示して頂いて、常滑のライブミュージアムの「やきもの新感覚シリーズ」でも展示して頂きます。新作も楽しみにしています。
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