2006年11月14日 インタビュアー大橋恵美(INAX文化推進部) |
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大橋 |
9月に朝日陶芸展、10月に出石磁器トリエンナーレとたて続けに入賞されました。おめでとうございます。 |
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長谷川 |
はい。その授賞式で兵庫陶芸美術館長の乾由明先生と大阪市立東洋陶磁美術館長の伊藤郁太郎先生に出会ったのですが、すごく感動してしまいました。私はこんな機会はもうないと思っていたので作品の写真を持って行って、それをお見せしたんですね。私が伝えたかったのはこういう事で、これを表わしたんですと。いやでもこれを見せるにはもっとこれをこういう風にと先生はおっしゃって。私は生意気ですけど、作品をつくった以上作品の説明をする責任があると思って、伊藤先生につっかかったんです。それで討論のようになったのですが、それを面白がって頂いて。伊藤先生がどういうものに関心を持っているのかお伺いして、私は自分が大変未熟で、もっと自分を磨いて行こう、学ぶべき世界は広大だなと改めて思い、お会いできたことに感動してしまいました。
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大橋 |
すごく遠い道の先にいる人に出会って、急に身近に感じて、その道を行く勇気を得たような感じですね。長谷川さんは大学で陶芸を始められたのですか。 |
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長谷川 |
大学では彫刻でした。素材が粘土ですごく楽しかったです。ちょっとカサッとしているところがすごく好きで、デザインコースには陶芸科がありましたから、やがて粘土を焼くという感じで、そちらに進みました。その頃は彫刻的な抽象的なかたちをつくっていて、たまに器を焼いたりしていました。そのうち、見るだけでなくてちゃんと使えるものがつくりたくなって、大学卒業後に瀬戸窯業学校に進みました。
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大橋 |
長谷川さんは色々な出会いをすごく楽しみにしていますね。滋賀県立陶芸の森のアーティスト・イン・レジデンスも経験されていますが、ここもたくさんの人の集まる所ですよね。 |
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長谷川 |
「バリア」という作品はここで方向が出てきたんです。
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大橋 |
長谷川さんの作品は一見すると建築のマケットみたいな感じで、壁とそれを支えるかたちでできていて、でも重力に逆らった感じがすごいなと思っていたんですけど。「バリア」というニュアンスでつくられているとはあまり思っていなかったです。
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長谷川 |
私は今までずっと一人で制作してきたのですが、あそこはひとつの部屋にテーブルがいっぱいあって、そこで何人もが同時に制作をするんですね。音楽がかかっていたり、すごく気が散ってしまって。逆に色んな人のつくる所は見られるし、面白い人もいっぱいいて、刺激的なんですけど、私は制作をする上では自分の世界を保ちたかったんですね。それで「バリア」。その頃は本当に排除の作品だったんですけど、帰ってきたら、また作品が変わり始めたんです。「窓」と言うのですけど、隙間がいっぱいあるんです。オープンなかたちになって、社会と関係が持てるようになった。環境って大きいですね。心象風景なんですね。
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大橋 |
白磁で表現するというのはどうなんですか。お話を伺っているとイノセントな白さに見えてくるんですけど。
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長谷川 |
私はこの色が良くて半磁にしているんです。私の中で白というのは、人が好きな事もあるんですけど、人に純粋であって欲しい、本質的な姿であって欲しい、もとの白であって欲しいというのがあるんです。もっとストレートにメッセージが伝わるといいんですけど。
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大橋 |
一方で見る人は自分のバックボーンで多様に見るものではないですか。 |
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長谷川 |
美術の役割ってあると思うんです。人に作家の考えを気づかせて影響を与えるという。
鯉江良二さんの土塊の作品なんてすごいですよね。
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Barrier 25×135×92cm(2006) |
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大橋 |
そうですね、ひと目で思い知るというか、感動しますよね。長谷川さんの作品は、やきものの儚げな性質を逆手にとった緊張感で、見る人が居ずまいを正すような所がありますね。折り紙でつくったような。
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長谷川 |
紙は一般的に身近な素材ですよね。粘土の方が今はもう幼稚園以外では使わない位遠い素材になってしまいました。粘土の可能性をもっと探したいですね。
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大橋 |
制作が楽しくて、展覧会で会場に来ている間は制作ができないわけで、だから早く帰りたいという作家の方もいらっしゃいますが。
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長谷川 |
でも私は違うんです。こうして話している時間もすごく大切なことで、生活すべて、ご飯をつくったり、家事も修行のように大切なんです。電車に乗っている時間も私をつくっているなと思うんです。趣味で茶道や気功をやったり、実家が横浜で果樹園をしているので小作人のように手伝ったり。
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大橋 |
でも、そんなに全般にアンテナを張っていたら、疲れたり病気になったりしませんか。 |
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長谷川 |
それで気功をやっているんです。 |
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大橋 |
長谷川さんの作品のかたちは、やきものだったらへたってなかなかつくれないかたちだと思うんですけど、計算してつくっているのですか。 |
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長谷川 | 始めは、こんなのできちゃうかなでやっているんです。で計算ではないですけど何回もつくって、こんなのできたらよいなと繰り返しているうちにできるんです。始めは全部自分の感覚でつくります。失敗が成功のもとで、他の人が見たら垂れちゃって失敗だというのが、私にはこれ面白いねって発見になっていくんです。
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大橋 |
家のかたちだと思っていたけれど、囲い方にも色々ありますし、大きな机の上に街が登場したようなかたちもありますね。
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長谷川 |
「完全防御」は屋根までついています。6重になっています。この時は本当に閉じていましたね。机のようなものは、その下に写真を貼ろうと考えていたんです。外人と子どもとおじさんの写真を使って、年齢、国籍、人種、性別は関係なく、人間というのは肉体を箱として内側に核があって、それは宗教、誇り、哲学が支えているのだということを言いたかったんです。かたちには見えない、そうしたものをしっかり持った時に、より強くなれると言いたかったんです。 |
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大橋 |
そうするとまた別の意味になるのではないですか。人間の顔のビジュアルは結構強いですよね。印象がそちらに引っ張られてしまうと思います。でも人は自分本位に作品を見ますから、その時哲学が必要な人には哲学が伝わるような気がします。長谷川さんはほかの人の作品を見ることはどうですか。
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長谷川 |
情念的な作品は駄目ですね。作品はちょっとだけ見てあれいいな、これいいなという感じで、あまりよく見ないようにしています。なんか入ってきちゃって駄目なんです。最近面白いなと思うのは、伝統的なものや、建築のような今に残っているものです。最初は意図的に残されたのかもしれませんが、それが今に伝わってきていることには意味があると思うんです。楽茶碗の存在感とかすごいなと思います。私は会いに行く方も、結構伝統工芸の方が多いんです。どういうかたちにせよ、伝えられる、伝わっていくことってすごいなと思うので、私の作品も残るようなものになればいいと思います。
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