土・泥・やきものと、人々の生活・文化に関する企画展を開催しています。 染付古便器の粋 ―清らかさの考察 Blue-and-White Pottery Toilets of Olden Times―Through Beauty, a Spirit of Purity 会期:2007年11月23日(金・祝)〜2008年5月20日(火) ※終了しています
【講演会第2弾】
【記念講演会】※終了しています
【オープニング パーティー】>※終了しています
人目をはばかる空間だった便所を、「青と白」で華やかに飾った染付古便器(そめつけこべんき)。それらは、濃尾(のうび)大震災(明治24年〈1891〉/愛知県と岐阜県で起きた直下型地震)直後に突如として現れ、明治時代に人びとの心を捉えて一世を風靡します。
江戸時代末期、当時一般的だった木製便器の形状を模して、陶器製の便器が瀬戸(愛知県)でつくられ始めました。当初はわずかな生産量でしたが、濃尾大震災直後から大量につくられるようになります。このとき、陶器の素地(きじ)を白化粧(白い泥で覆う)したのちに、青に発色する呉須(コバルト)で花鳥や草木などの模様が描かれた、いわゆる「染付」の便器が売り出されました。これらは富裕層や旅館、料亭などで、主として客用に使われ始めます。 また、磁器製の便器の生産も、瀬戸で始まります。美術品と見まがうほど華麗な文様が、内側にも外側にも施されていました。なかには、特別注文による作者の銘が入った、いわゆる“ブランドもの”もあり、非常に高価であったと思われます。 染付による陶器製便器はもっぱら装飾性が高められていきましたが、磁器製便器は、明治30年代後半に、青磁釉(せいじゆう)一色のものに変わっていきます。 さらに大正時代に入り、人びとの衛生観念が向上すると、都市部では吸水性のない磁器製便器の人気が高まりました。一方では、明治45年(1912)頃より、吸水性の少ない良質の陶器製染付便器が平清水(山形県)でつくられはじめ、主に大正時代、東北地方を中心に出回ります。 本展覧会では、「褻(け)」の場を「晴(はれ)」の場へと転化させるような、美しく華やかな染付古便器の逸品を、関連する道具類とともに展示します。視覚的にも清らかな空間としてしつらえた当時の人びとの粋さ、客人へのもてなしの心を探ります。 【古便器など情報提供のお願い】 INAXライブミュージアムでは、非水洗の陶磁器製便器や厠下駄など、トイレに関わる資料について調査研究および収集を行っています。当時の資料をお持ちでしたら、ぜひご一報ください。
⇒詳細はこちら 【関連書籍のご案内】 新刊 INAXミュージアムブック『染付古便器の粋―清らかさの考察』
濃尾大地震(明治24年〈1891〉)直後、突如現れた染付古便器が、なぜ人びとの心を捉え一世を風靡し、消えていったのでしょうか。なぜ「青と白」による装飾―染付だったのでしょうか。江戸の習俗、やきもの史、文様学、さらには染織などさまざまな視点から、その理由を解いていきます。
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